侵害受容:痛みを知覚すること
第7週 第4日(木)
痛みを近くすることは、専門的には侵害受容といい、人間が行きていく上で欠かせないものだ。
痛みは、この世にある様々な危険を知る単純で有効な方法だ。
痛みを感じると、反応を起こすよう信号が発せられ、それによって私達は沸騰しているお湯から手を引っこめたり、割れたガラスから一歩下がったり、ひねった足首を安静にしたりするのである。
侵害受容は、複雑な生命体が行きていくのに必須のシステムだ。
生まれながらに先天性無痛無汗症(CIPA)という難病を患っている子供は、25歳以上生きられることはめったにない。
生まれたときは、他のこと変わりなく見えるが、歯が生えてくると問題が起こる。
痛みを感じないので、自分の指を食いちぎってしまうことがあるのだ。
骨をおったり、手をやけどしたり、膝をスリムたとしても、血や痣を自分の目で見るまで、怪我をしていることに気づかない。
そのため、複数の傷による感染症で命を落とすことが多い。
「病は気から」ではないが、痛みは間違いなく私達の頭の中で起きている。
脳の様々な部分がネットワークを組んで働き、ペイン・マトリックスとも呼ばれる痛み関連脳領域を形成する。
このマトリックスのある部分が私達に痛みの強度を伝え、別の部分が痛みの場所や持続時間、痛みの種類などを知らせる。
こうして痛みを知覚すると、それが引き金となって、脳内の前帯状皮質という部分の働きで、さまざまな苦しみを感じる。
面白いのは、このとき身体的な痛みと感情的な痛みが区別されないことだ。
腕が傷ついたときも心が傷ついたときも、反応は一緒なのである。
痛みさえなければ、色々な苦しみを受けずに住むとも考えることができるが、生命が長く生存するために必要な機能でもある。
反射的な運動みたいなものはよく人間だったり身についたなと過去にどんな進化をしてきたかを知るとともに合理的になってきたのだと。
身の危険を感じることが少なくなった現代では、反応が鈍くなるのか、新たな刺激に対しての反応が敏感になるのか、また進化していくのだろう。