モダニズム

第7週 第2日(火)

文学におけるモダニズム運動は、1900年から1940年までが最盛期で、作家たちは物語を語る新たな方法を探求し、客観的な現実と真実を探る最善の方法は何かという問題を改めて考えた。

19世紀後半、西洋文学は写実主義が主流だった。

この時期の小説家たちは、登場人物や場面、社会状況などを細部まで正確に描こうとした。

ところが19世紀末から20世紀初頭にかけ、いくつもの分野で革命的な考えが生まれて、私達が現実を認識して表現する能力に疑問が抱かれるようになり、さらに、そもそも客観的な現実は存在するのかという問題さえ持ち上がった。

心理学ではフロイトが無意識の概念を研究し、人間の心と自我は精神分析によってしか知ることができないと主張した。

言語学では、フレイザーが非西洋圏の文化と宗教の研究に新たな高みをもたらし、西洋的な正解感と異なる見方を提示した。

そして物理学では、アインシュタインが相対論を唱えたことで、それまで確実だと思われていた時間と空間に関する諸原理さえもゆるぎは見えた。

19世紀の写実主義者たちが世界を正確に描くことに没頭していたのに対し、20世紀の新たな作家や芸術家たちは、客観的真実が存在しないのなら、現実はどうすれば正確に描写できるのかという問題に頭を悩ませた。

モダニズムの作家たちは、この問題に実験的な手法で取り組んだ。

彼らが主に使った新手法の一つが「意識の流れ」で、登場人ブルの内的思考を作者が手を加えずにそのまま伝えようとするものだ。

そして、モダニズム作家のほぼ全員が作品の中で時間の流れを操っている。

時系列順に書くのをやめて、何の前触れもなく過去・現在・未来を自由に行き来しており、この特徴のせいでモダニズムの小説と詩は往々にして難しいと評されている。


今までの小説・文学は時系列順に正確に書くことが良しとされていたが、時系列を操ったり、登場人物の意識の流れを描写することによって表現する手法に変えた。

学生時代小説を多少読むことを合ったので、時系列が変わることはよく合ったが、それはこのモダニズムの時代に変わったものなんだなと改めて知った。

逆にこの手法を用いることで、イニシエーション・ラブみたいにどんでん返しのような手法も生まれてきたのかなと。

現代当たり前と思っているものもこういう形で、変化を続けてきたんだなと。