失楽園
第4週 第2日(火)
ジョン・ミルトンの叙事詩「失楽園」(1667年)は、人類の無垢からの堕落という、聖書の創世記で語られている話を膨らませた壮大な物語である。
ミルトンの最高傑作にして、英語で書かれた最高の*1とされており、西洋文学を代表する作品であるだけでなく、宗教改革に影響を与えた作品としても重要である。
失楽園は、*2(ブランク・ヴァース)という形式で書かれている。
無韻詩とは、脚韻を踏まず、弱強五歩格といって、2つの音節がセットになったものが1行あたり5つある構造を持った形式のことだ。
シェイクスピアは、多くの戯曲で無韻詩を使ったが、ミルトンはその可能性と使える範囲を大幅に広げた。
失楽園自体は、神に反逆して地獄に落とされたサタンが、神が作った中で最も大切にしている人間を堕落させようとし、神の命令に逆らって知識の実を食べ去るという物語である。
悪役であるサタンが最も複雑で、誰よりも魅力的な人物として描かれている。
彼こそアンチヒーローで、ビジョンとリーダーシップと巧みな話術を披露しながら、そうした資質によって高慢で自己中心的な目的を実現させている。
しかもただ悪人であるのではなく、自分のことをよく理解していて、神に追放されたという惨めな思いに苦しんでいる姿にも魅力が感じられる。
叙事詩とか、脚韻とか文学に関する技法を自分は全然知らないなということを改めて感じる。
そのほかにも評価される文学として、過去の名作にインスパイアされて物語にするという話があるが、これはアダムとイブが知識の実を食べて楽園から追放されることや、
人間界に悪がはびこるのはサタンによるものという構成になっていて、話の文脈をサタンのようなアイデアで補間することでスパイスとしての物語が面白くなるということがわかった。
自分の場合、なにか断片的な話を聞いた時に思いつきでその話を作ることは、事実と違う・誤った解釈をすると相手に失礼だからそれ以上深くは考えず、事実を求めようとするが、自由に行間を発想することがこんな面白いことに繋がるんだなと感じた。
これからなにか聞いたときは事実を知れたら受け入れる心だけではなく、自分の中での自由なイメージをもっと大切にしようと思った。