皇帝コンスタンティヌス一世~キリスト教が国に認められた時~
第7週 第1日(月)
初期キリスト教の時代、この小さな信仰集団は、巨大なローマ帝国の各地で厳しい迫害を受けていた。
イエス・キリストがエルサレムで死んで数十年後の紀元64年、皇帝ネロは首都ローマでキリスト教徒に対する初の公的な迫害を命じた。
ローマの歴史家タキトゥスは、常軌を逸した暴君ネロの命令による、極めて残虐な処刑の数々を列挙しており、そうした処刑の一つでは、信者を犬の餌食にすることもあったという。
ローマの権力者たちは、キリスト教は帝国の安定を脅かすものだと考えていた。
彼らにしてみれば、キリスト教徒は国家によってはりつけの刑に処された犯罪者を崇拝し、皇帝を神として崇めることも、ローマ古来の神々を礼拝するのも拒否する者たちだった。
キリスト教が広まるに連れ、その迫害は200年にわたって散発的に続き、激しさもましていった。
しかしキリスト教は、書紀の信徒には貧しい者たちが多かったものの、やがてローマ社会の主流からも信者を惹きつけるようになっていった。
ローマ皇帝コンスタンティヌス一世(275頃~337)は、幻視体験をきっかけにキリスト教に改宗すると、313年にミラノ勅令を出して、帝国内全土でキリスト教を公認した。
その時点でキリスト教は、すでに広く浸透していた。
しかも、直レが出て100年もしないうちに、キリスト教は従来の多神教に変わってローマ帝国の国教になった。
400年の間にキリスト教は、ユダヤ人の反体制少数派が報じる非合法な信仰から、帝国の宗教へと変容sたのである。
ローマ帝国は5世紀に崩壊するが、その後もキリスト教はヨーロッパに広まり続け、ヨーロッパを一つにまとめる進行となった。
今日のテーマはコンスタンティヌス一世だが、キリスト教がどのように広まったかを表した興味深い話だった。
キリスト教の何がそんなに人を惹きつけるに至ったのか、かなり興味がある。
やはり当時は侵略の世の中であったため、隣人愛など平和を望んだ市民が多くいて、それが広まった要因なのかなと考えてみたり。
現代はどんな宗教が流行るかな。
今までは、王様などが自分の思うままに国民を操っていた抑圧された世界だからこそ、人に優しく平和を望む宗教が流行ったけど、
だれにも縛られず平和で、自由な世界になった現代は、信じることで救われるようなことは到底考えにくいし、だからこそ宗教はなくなっていったのかなって。