アブラハム・イサク・ヤコブ

第4週 第7日(日)

アブラハムは、一神教の開祖と考えられている人物だ。

その息子イサク(サラとの子)とイシュマエル(ハガルとの子)およびその子孫は、前者がユダヤ教、後者がイスラム教を開いたとされている。

聖書の創世記によると、アブラハムは若い頃~当時はアブラムという名だった~宇留野もあちに住んでいた時、神が現れ、カナンの地へ行けと命じられた。

やがて歳を重ねるうちにアブラムは子供がいないことを心配するようになった。

妻のサライ~後にサラと改名する~は、自分には子供が埋めないようだと思い、夫が女奴隷のハガルと子作りするのを認めた。

やがてハガルはアブラムの最初の息子イシュマエルを生んだ。

しかし、怒りと嫉妬からサライはアブラムに迫って、ハガルとイシュマエルを追放させた。

そこで神は、アブラムと契約を結んだ。

アブラムが神に仕えて帰依するのと引き換えにさらいとの間に息子を授け、その息子を立派な大民族の父にすると約束した。

この契約の印として、99歳だったアブラムは名前をアブラハムと改め、サライもサラと改名した。

サラは遺作を生み、イサクはアブラハムが神と交わした約束を履行した。

それからしばらくして、神はアブラハムに、息子のイサクを捧げ物として犠牲にせよと命じた。

アブラハムは神に無条件で帰依していたので、命令に従いますと答えた。

しかし、息子を殺す直前になって天使がアブラハムを止めた。

トーラーでは、これは信仰のあるべき姿を示す素晴らしい一例とみなされている。


ユダヤ教イスラム教を誰が作ったんだろうという疑問に答えてるようなテーマだと思ったが、これは創世記の作り話ということでちょっとがっかり。

信仰のあるべき姿として、神の命令とあれば息子を殺すことも厭わないこととあるが、ちょっと意味がわからなすぎる。

神の力で授からさせた息子をその親に殺させようとするって、神って自分勝手にも程があるというかホントに神なのか疑いたくなる。

キリスト教であったり、こんな話をまともに受け入れる考えが自分にはちょっとわからない。。。